04月30日(火)
昭和20(1945)年4月28~30日に行われた第5次航空総攻撃では、65名の特攻隊員が戦死しています。その一人である四宮徹少佐は元震天征空隊々長でしたが、4月29日に特攻隊として知覧から出撃しました。当館内遺品室では四宮少佐の遺族からお預かりした遺品を多数展示しています。
今日の平和会館
昭和20(1945)年4月28~30日に行われた第5次航空総攻撃では、65名の特攻隊員が戦死しています。その一人である四宮徹少佐は元震天征空隊々長でしたが、4月29日に特攻隊として知覧から出撃しました。当館内遺品室では四宮少佐の遺族からお預かりした遺品を多数展示しています。
第70回知覧特攻基地戦没者慰霊祭が令和6年5月3日に開催されます。今年も多くの遺族・関係者が参列されます。現在、会場となる知覧特攻平和観音堂前にテントを設置するなど準備が進められており、一部通行できない場所がございます。お参りの際は、当館正面横の通路から移動をお願い致します。本日も皆様のご来館をお待ちしております。
昨日、現在開催中の企画展「女学生が見た戦争」関連講座を開催しました。会期中に開催される関連講座とギャラリートークでは、企画展の見どころを紹介しています。次回の開催は下記の通りです。
関連講座:5月25日
ギャラリートーク:5月11日、6月8日
時間:10:30~/14:30~(各回約30分)
本日、企画展の関連イベント「学芸員による関連講座」を開催します。講座内では企画展にて展示中の「特攻日記」の内容を詳しく紹介します。ご関心のございます方はぜひご参加ください。
会場:館内講話室
時間:時間:10:30~、14:30~ (約30分)
平和会館につながる桜並木を進むと隼戦闘機(実寸大模型)があります。その横に知覧飛行場の戦跡を紹介する看板が立っています。この周辺は格納庫や兵舎など飛行場の施設があった地区です。目の前に大きなグラウンドがありますが、そこは格納庫の跡地です。
館内中央の遺品室に隊員の遺書・手紙を活字化して紹介するコーナーがあります。昭和20年4月22日に出撃した隊員を紹介します。第105振武隊 渡邊利廣大尉「最后の基地 知覧飛行場に参りました。兵舎は爆撃の為毀れて居ります。余りのなつかしさに私のかつて寝たと思はれる所を歩きまわりました。知覧で操縦をおぼへ知覧をとびたって終わりにならうとは(後略)」渡邊大尉は昭和18年10月から昭和19年3月まで知覧教育隊で基本操縦教育を受けました。訓練終了後、特攻隊員となって出撃の為に再度知覧飛行場に来たため、上記の内容を書かれています。
今日は、じめっとした雨の朝を迎えています。まるで梅雨時期に入ってしまったのかと感じるほど雨が多い4月ですね。本日も当館は通常どおり開館致します。皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。
昭和20年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸します。日本陸軍は4月、5度にわたり航空総攻撃(特攻作戦)を行っています。4月16日、知覧飛行場から出撃した隊員の遺書を紹介します。第106振武隊 松原徳雄少尉「お父上母上御身体大切に 今一度御顔を見たいと思いますが会えばかえって悪いと思います 必ず敵空母を轟沈致します (後略)」松原少尉の遺書は3コーナーの左側に展示しています。
毎年、8月15日に開催される、いのち・平和をテーマにしたスピーチコンテストの作品募集が4月1日から始まっています。
このコンテストは平成2年から始まり、今年で35回目を迎えます。昨年の34回のコンテストから中学生の部の募集を全国の中学生に拡大しています。
多くの作品の応募をよろしくお願いします。詳しくはホームページ内のスピーチコンテストをご覧ください。
昨日、4月12日は第20,43,69,103振武隊が知覧飛行場から出撃した日です。当時、特攻隊員の奉仕として来ていた知覧高等女学校の生徒が桜の枝を振って見送る姿を報道班が撮影しています。現在でいう中学3年生の女学生がどのような気持ちで見送ったのか…。本日は、現在行っている企画展「女学生が見た戦争ー知覧高女生と特攻隊員ー」を学芸員が紹介するギャラリートークが開催されます。ぜひこの機会にお越しください。
知覧特攻平和会館企画展「女学生が見た戦争-知覧高女生と特攻隊員ー」が
館内企画展示室で開催中です。
今週末4月13日には企画展ギャラリートークが開催されます。
①10:30~ ②14:30~ (約30分)
当館学芸員が展示の見どころをわかりやすく紹介します。
今日は久しぶりに良い天気になりそうです。
平和会館周辺の桜は、ほぼ散ってしまいましたが、これからは新緑の初夏を迎えます。
昭和20(1945)年4月7日、万世や徳之島・喜界島等から出撃した特攻隊員22名が特攻戦死しています。
知覧特攻平和会館では2コーナーに関連隊員の遺筆を展示しており、音声ガイドでは同日に出撃した中村實大尉のエピソードを紹介しています。
米軍は昭和20年3月26日に慶良間列島、4月1日に沖縄本島に上陸しました。日本軍の想定より米軍の進攻が早かったため、沖縄戦初期の特攻攻撃は散発的なものでした。日本軍の体制が整ったのが4月6日でこの日より本格的な特攻攻撃を開始します。4月6~11日まで行われた第一次航空総攻撃で109名の隊員が出撃し帰らぬ人となりました。
昭和20年4月5日、第21振武隊に所属する須藤治韶少尉が知覧から出撃し、特攻戦死しました。須藤少尉が所属した第21振武隊の集合写真は立体展示ケース11コーナーの引き出しに展示しております。ご来館の際にご覧いただければと思います。
今週から天気が悪い日が続くようです。桜も少しずつ散り始め、今週末までが見頃かと思います。平和公園の夜の桜並木ライトアップは7日までとなっておりますので、観覧予定の方はお早めにご利用ください。
昭和20年4月3日、知覧基地から第22、23振武隊が出撃しました。前田啓大尉もその一人です。知覧高等女学校の先生は、出撃前の様子を記した手紙を前田大尉の故郷である北海道に送りました。
遺族へ送られた手紙は現在企画展で原本を展示しております。ご来館の際はぜひご覧ください。
今から79年前の4月1日、知覧基地で最初の特攻隊員が出撃しました。
昭和20(1941)年に飛行学校として始まった知覧飛行場は、沖縄に向けて陸軍の特攻隊が出撃する特攻基地としてその姿を変えていきます。