航空特攻作戦の概要
沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した1945年(昭和20年)3月26日から始まりました。特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ・亡くなる" という『必死』条件の作戦でした。
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。
本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続きました。
特攻部隊のうち、九州から出撃した部隊は" 振武隊(しんぶたい)"、台湾から出撃した部隊は" 誠飛行隊(まことひこうたい)" と呼称しています。
3月26日開始された慶良間(けらま)列島海域への特攻作戦は、沖縄本島・石垣島・宮古島から出撃しましたが、4月1日沖縄本島に上陸後は、九州及び台湾から出撃するようになりました。
沖縄戦で陸軍の特攻機が出撃した飛行場
出撃地 | 人数 | |
---|---|---|
鹿児島県 | 知覧 | 402名 |
徳之島 | ※ 14名 | |
喜界島 | ※ 23名 | |
万世 | 120名 | |
鹿屋 | 12名 | |
宮崎県 | 都城東 | 73名 |
都城西 | 10名 | |
新田原 | 38名 | |
熊本県 | 健軍 | 127名 |
菊池 | 1名 | |
福岡県 | 大刀洗 | 14名 |
蓆田 | 4名 | |
山口県 | 小月 | 2名 |
沖縄県 | 沖縄 | 20名 |
石垣 | 31名 | |
宮古 | 10名 | |
台湾 | 宜蘭 | 37名 |
台中 | 31名 | |
八塊 | 32名 | |
桃園 | 15名 | |
花蓮港 | 15名 | |
竜潭 | 5名 | |
合計 | 1036名 |
※ 徳之島は(知覧→徳之島)、喜界島は(知覧→喜界島) をそれぞれ経由した数。
陸軍沖縄戦都道府県別特攻隊員戦死者数
都道府県 | 隊員数 |
---|---|
北海道 | 35名 |
青森 | 9名 |
岩手 | 18名 |
宮城 | 27名 |
秋田 | 9名 |
山形 | 10名 |
福 島 | 22名 |
茨城 | 25名 |
栃木 | 28名 |
群馬 | 24名 |
埼玉 | 22名 |
千葉 | 27名 |
東京 | 86名 |
神奈川 | 31名 |
新潟 | 17名 |
富山 | 13名 |
石川 | 17名 |
福井 | 8名 |
山梨 | 6名 |
長野 | 30名 |
岐阜 | 21名 |
愛知 | 43名 |
静岡 | 22名 |
三重 | 18名 |
滋賀 | 10名 |
都道府県 | 隊員数 |
---|---|
京都 | 26名 |
大阪 | 35名 |
兵庫 | 28名 |
奈良 | 8名 |
和歌山 | 14名 |
鳥取 | 9名 |
島根 | 8名 |
岡山 | 26名 |
広島 | 28名 |
山口 | 20名 |
徳島 | 13名 |
香川 | 17名 |
愛媛 | 13名 |
高知 | 6名 |
福岡 | 43名 |
佐賀 | 22名 |
長崎 | 18名 |
熊本 | 20名 |
大分 | 25名 |
宮崎 | 20名 |
鹿児島 | 40名 |
沖縄 | 6名 |
樺太 | 2名 |
朝鮮 | 11名 |
合計 | 1,036名 |