戦跡案内
知覧特攻平和会館周辺の戦争遺跡など
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一式戦闘機「隼」
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特攻勇士の像
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鳥濱トメの灯ろう
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飛行場の門柱
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特攻平和観音堂
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灯ろう
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油脂庫
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弾薬庫
知覧飛行場正門(跡地)
知覧飛行場の正門です。 左上は現在、右上は戦時中の写真で、ほぼ同じ場所から撮影したものです。門柱にかかる看板には「大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊」と書かれています。 昭和16年の飛行場の完成から昭和19年までは飛行兵の訓練場として使われました。 門柱は現在、参道の脇に移設されています。(下2点は飛行兵の訓練風景)
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給水塔
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防火水槽
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着陸訓練施設
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知覧飛行場跡地の戦争遺跡
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出発線の碑(石碑)
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戦闘指揮所跡(石碑)
木造の建物があり、参謀など司令部要員が詰めていました。 現在の空港で言えば管制塔のような役割を担っていました。
なでしこ隊見送りの地
知覧高等女学校の生徒達には、特攻隊や掩護部隊への奉仕が命じられました。 そして基地の中では食事の準備や裁縫などを行い、短い期間でしたが特攻隊員達との交流がありました。 左の写真は昭和20年4月12日、出発線に向かう第20振武隊の穴澤利夫少尉を八重桜の枝を振って見送る場面です。右は同じ場所の現在の様子です。
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対空無線通信施設跡(石碑)
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三角兵舎跡
空襲を避けるため飛行場から少し離れた松林の中に三角兵舎が造られました。 三角兵舎は半地下式木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせていました。ここで特攻隊員達は出撃までの数日間を過ごしたのです。 現在、その跡地には三角兵舎跡の石碑が建てられています。 また、特攻平和会館の隣には復元された三角兵舎があり、当時を偲ぶ事が出来ます。
掩体壕
掩体壕とは、コの字型に土塁を築き、近くに爆弾が落ちた場合でもその破片及び爆風から飛行機を守るためのシェルターです。 土塁の高さは戦闘機などの小型機用でも4m以上はとっていたので隼(Ⅲ型甲の全高は約3.2m)も十分覆われるようになっていました。 昭和20年以降、飛行場は空襲の標的にされていたので知覧に進出すると機体はすぐに掩体壕内に格納され、雑木の枝で偽装されていました。
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集団司令部跡(石碑)
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大刀洗陸軍航空廠知覧分廠跡
山砲座跡(猿山)
山頂からは飛行場跡を一望でき、はるか彼方には開聞岳を眺めることができます。 戦時中はこの基地から多くの特攻機が飛び立ち、米軍からの度重なる空襲を受けました。 当時は死闘が繰り広げられた場所ですが、飛行場は長い年月のうちに畑や住宅地に変わっていきました。そのため、現在の景色から当時の情景を想像するのは難しいと思います。
各戦跡の地図PDFファイルは下記からダウンロードできます。