06月29日(水)
現在、館内各所に写真のような器具を設置しています。これは、文化財害虫の有無を調査するために設置した捕獲器具です。年3回の調査を予定し、今回が1回目の調査になります。
当館では収蔵資料を良好な環境で保存していくため様々な取り組みを行っています。
今日の平和会館
現在、館内各所に写真のような器具を設置しています。これは、文化財害虫の有無を調査するために設置した捕獲器具です。年3回の調査を予定し、今回が1回目の調査になります。
当館では収蔵資料を良好な環境で保存していくため様々な取り組みを行っています。
今朝の平和会館上空は快晴で、飛行機雲を見ることができました。
昨日、鹿児島地方気象台から九州南部の梅雨明けが発表され、平年より18日、昨年より14日早く観測史上2番目の早さとなりました。梅雨期間は16日間と過去最短で、平年の46日間の3分の1程度となりました。
今日も昨日に続き暑い1日となりそうです。
昨日は鹿児島県内各所で気温が30度を超える真夏日となりました。今朝の平和会館も日の光が差し込んでいます。
週間天気予報をよると、今週は真夏日の日が多く、しばらく暑い日が続きそうです。
沖縄が陥落し、九州南部では本土決戦に向けた準備が進められます。陸軍は宮崎海岸、志布志湾、吹上浜を敵の上陸予想地とし、陣地の構築を急ぎます。海軍は錦江湾口に湾を封鎖するための砲台、薩摩半島・大隅半島各地の入り江に震洋基地を構築します。写真は復元された震洋艇です。艇首に250kgの炸薬を搭載し、敵艦に突入する水上特攻艇です。
今朝の特攻平和会館周辺は時折、雲の間から日が差すような天気となっていますが、これから雨や雷雨で局地的に激しく降る予報となっています。ご来館の際は、足元に気を付けてお越しください。
■語り部の講話…11時00分、13時30分、14時45分 (各回 約30分)
■特攻解説映像の上映…10時00分、12時00分 (上映時間 約30分)
今週から利用を再開した館内の案内タッチパネルでは、特攻隊員の検索のほか、遺書や手紙などもを閲覧することができます。
来館の際は、是非ご利用ください。
6月23日は、沖縄県が制定している「慰霊の日」です。77年前の今日、沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終結した日です。
知覧をはじめ、各地の飛行場から多くの若者が出撃した航空特攻、菊水作戦は、アメリカ軍の沖縄への侵攻を防ぐために行われたものでした。大規模な航空特攻作戦も、6月22日をもって終了しました。今日は、沖縄の陸や海で繰り広げられた77年前の出来事に、思いを馳せたいと思います。
春の企画展も6月11日で終了し、現在、企画展示室では、特攻隊員の遺書や手紙などの資料のほか、パネルを用いた展示と説明を行っています。
7月15日から開催予定の夏の企画展まで展示していますので、ご観覧をお願いします。
昨日、新型コロナウイルス感染症予防のため、国の臨時交付金を活用し、館内でお客様が手に触れる機会の多い、受付カウンターや講話会場の座席シートなどの抗菌・抗ウイルスコーティングを実施しました。
これまで、感染防止のため利用を中止していた案内タッチパネルのコーティングも完了し、特攻隊員情報の検索も本日から利用できるようになっています。
6月18日から19日にかけ熊本県立劇場で開催された第44回文化財保存修復学会に参加しました。会では各分野からの事例発表やポスターセッションが行われ、当館での今後の展示品の修理や管理体制などについて多くの知見を得ることができました。
今日は「父の日」です。特攻隊員の中には幼い子どもを残して出撃した「父」もいました。家族の絆・感謝の気持ちについてあらためて考えたいです。
■本日の語り部の講話、特攻解説映像の上映時間(各回約30分)
・語り部の講話:11時、13時30分、14時45分
・特攻解説映像の上映:10時、12時
本格的な梅雨に入り、今日もじめじめした朝を迎えています。
昨日は、知覧飛行場跡地の戦争遺跡の一つ「掩体壕」にある 97式戦闘機 の清掃作業を行いました。「掩体壕」は当時、飛行機を守るためにつくられたシェルターです。こちらの場所は車でも目の前まで行けますので、当館へお越しの際には、その他の戦跡とあわせてぜひご覧ください。
知覧飛行場跡地の戦争遺跡→https://www.chiran-tokkou.jp/monument.html
平和公園内に残された着陸訓練施設跡。
戦時中の飛行機は現在と違い、機首・両翼3点の車輪を同時に接地させて着陸しなけらばなりませんでした。このため、施設の先にあった櫓から張られたワイヤーに滑車で吊された乗り物に乗り、着陸の高度の感覚を養いました。
毎年、5月3日に知覧特攻慰霊祭が行われる知覧特攻平和観音堂の参道入口に今月、標柱が建立されました。これまで、標柱が無かったことから新たに建立したもので、石製で3メートルを超える立派なものとなりました。
九州南部も梅雨入りし、しばらくは雨の多い日が続きそうです。
11日まで開催していた企画展も終了し、多くの方に見学いただきました。
これから、次の夏の企画展に向け準備を進めてまいります。
沖縄戦における陸軍の特攻攻撃は、昭和20(1945)年3月26日から7月19日までの約4月間続き、1036名の隊員が特攻戦死されました。
そのうち知覧飛行場からは4月1日から6月11日まで出撃し、439名の隊員が特攻戦死されました。
当館では、沖縄戦の特攻戦死された隊員の遺書や遺品を保存・展示することで特攻作戦の事実、平和のありがたさ、いのちの尊さを伝えてまいります。
知覧が位置する九州南部もようやく梅雨入り宣言が出されましたが、今日は晴れ空が広がり、隣のグラウンドからは試合に臨む選手たちの声が聞こえてきます。
今日のような天気の良い日には、シェアサイクル茶巡(チャーリー)が平和会館周辺の戦跡巡りに最適です。ご来館の際はぜひご利用ください。
昭和20年6月11日、知覧飛行場から第215振武隊の麻生隆大尉(22歳)が出撃戦死されました。麻生大尉は巻紙に丁寧な文字で家族への手紙を遺されています。「思えば隆の行末を楽しみに暮らされてきた母上に~」「自分が京都帝大まで学業を進めることができたのは皆父上母上のお陰で~」と両親への感謝の言葉が綴られています。
先日、ミスユニバース世界大会において日本代表となるべく、各人が見識を深めるために行われる活動の一環として、日本代表セミファイナリストとして選ばれた女性26名が当館を見学されました。
女性たちが外面的にも内面的にも成長する過程は、ドキュメンタリー映画として、来年1月に一般公開される予定です。
現在、当館で開催中の開館35周年記念企画展「千尋の海にいきて-伊舍堂用久中佐と家族の絆-」の会期も6月11日(土)までと残り少なくなりました。
沖縄戦最初の陸軍特攻隊長として出撃した伊舍堂中佐と彼を支えた家族の絆について迫る内容となっています。
ご観覧をよろしくお願いします。
給水塔横の防火水槽は、椀型に地面を掘り、砂利を敷いた上をコンクリートで固めた半地下式の構造となっています。直径約10mで3箇所に設置された階段は水の汲み出しと管理のためと言われています。
高さ約13m、直径約6mで高架式タンクを擁する給水塔は、水を確保するため建設された施設で、南九州市指定文化財に指定されています。
戦時中は直立していましたが、地盤が悪かったためか現在では少し傾斜しています。また、建設から年月が経過し、コンクリートの剥離等も見られることから今後、その保存方法等について検討していく計画です。
渡辺静少尉は、小諸商業において中心バッターとして活躍し、小諸商業野球の黄金時代を築きました。卒業後、朝日軍(横浜D℮NAベイスターズの前身)に入団すると同時に大阪専門学校(近畿大学の前身)に入学し、勉学にも努めましたが、昭和20(1945)年6月6日、知覧飛行場から出撃し、沖縄周辺洋上で特攻戦死されました。
少尉の残した日誌には野球への想いが記されています。
本年8月15日(月)に開催される第33回スピーチコンテストの原稿については、全国から多くの応募をいただきました。
今後、作品の一次・二次審査を経て、当日の最終審査にて最優秀賞等が決定することになります。
平和会館に向かう途中で多くの灯ろうを目にすると思います。昭和30年に特攻観音堂が建設されると特攻関係者が献灯をおこないました。その後、賛同者が増え、今では1290基にものぼります。特攻観音堂の参道にある灯ろうは昭和30年代に献灯された初期ものです。
昭和20(1945)年6月1日から第十次航空総攻撃が開始されます。
転倒で左腕を捻挫していた中島豊蔵軍曹に、周囲は完治してからの出撃するよう諭しますが、6月3日、怪我をした手を操縦桿に縛り付けて出撃していきました。
中島軍曹の特攻に対する決意の程がうかがえます。
知覧特攻平和会館周辺に残されている弾薬庫は、知覧分教所の練習機用の潤滑油等を保管していました。
壁面には、円錐状の窪みが何カ所も刻まれています。これは、昭和20(1945)年3月以降、米軍による空襲を受けた際の弾痕跡で、空襲の激しさを今に伝えています。
知覧特攻平和会館の周辺には現在も多くの戦争遺跡が残されています。
南九州市観光協会では、所属するボランティアガイドが、希望時間に合わせコース設定し、無償で案内する取り組みを行っており、会館の見学と併せ、見学ください。