03月31日(木)
知覧平和公園の桜並木では、18時から21時半までライトアップされています。満開を迎え、桜の花びらが舞い始めている中を歩くことができます。知覧に御宿泊されている皆様、夜桜見物などいかがでしょうか。さて、今日は年度末。人事異動により、これまで4年半にわたり「今日の平和会館」を担当してきた学芸員が交代します。このコーナーを閲覧していただいた全ての皆様に、感謝申し上げます。
今日の平和会館
知覧平和公園の桜並木では、18時から21時半までライトアップされています。満開を迎え、桜の花びらが舞い始めている中を歩くことができます。知覧に御宿泊されている皆様、夜桜見物などいかがでしょうか。さて、今日は年度末。人事異動により、これまで4年半にわたり「今日の平和会館」を担当してきた学芸員が交代します。このコーナーを閲覧していただいた全ての皆様に、感謝申し上げます。
昨日まで断続的に降り続いていた雨があがり、東の空には雲間から朝日がのぞいています。知覧平和公園内の桜(ソメイヨシノ)が満開で、最盛期を迎えています。今日か明日に、知覧にお越しになるお客様は、桜の雪が舞い散る中を歩くことができると思います。ところで、このように桜の名所にもなっている知覧の平和公園ですが、ここに至るまでの先達の方々の努力が実を結んでいることにも思いを馳せたいと思います。写真は、平和会館事務所内で保管されている写真の中から、昭和50年代に自衛隊の方々による公園内での奉仕作業の様子です。
先日3月26日、沖縄県石垣市では伊舍堂用久中佐の慰霊祭が行われていました。この春、当館では伊舍堂中佐をテーマにした企画展を開催中というご縁もあって、今回の慰霊祭には当館館長と語り部が出席しました。77年前にあった出来事を現地で語り継いでおられる方々とともに、当館も特攻の史実を後世に伝えていく務めを果たしていきます。
開催中の企画展「千尋の海にいきて」の舞台は石垣島です。石垣島には出撃前に伊舍堂中佐が宿泊した民家が残されています。また、平成25年にはご遺族・地元有志の方々により「伊舍堂用久中佐と隊員の顕彰碑」が建立されています。企画展で伊舍堂中佐の心情、そして島の方々の特攻を伝えていく気持ちを読み取っていただけたら幸いです。
平和公園内の桜が見ごろを迎えています。本日の暖かな天気で更に開花するのではないでしょうか。当館へお越しの際には、公園内の桜もぜひゆっくりとご覧ください。
77年前の今日、沖縄戦における陸軍の特攻作戦が開始されました。午前4時、沖縄沖に向けて誠第17飛行隊が石垣島から出撃しています。この特攻隊の隊長は、出撃基地と同じ石垣島出身の伊舎堂用久中佐でした。
知覧特攻平和会館では、伊舎堂中佐の遺品とエピソードを紹介する企画展「千尋の海にいきて」を本日より開催しております。この企画展が、戦争や平和、家族との絆について考えるきっかけになりましたら幸いです。皆様のご来館を心よりお待ちしております。
『知覧特攻平和会館紀要』第4号が完成しました。掲載論考の内訳は、「特攻を見送る写真の原本調査」、「知覧高女なでしこ会座談会の報告」、「第六十六振武隊後藤光春大尉の出撃基地に関する考察」、「資料紹介 知覧図書館より移管された旧知覧飛行場に関する文書群-『飛行隊設置二付陳情』-」、「資料紹介 米海軍の特攻分析映像″Combating Suicide plane attacks”-米国国立公文書館資料より-」です。主な大学・図書館・博物館等へ納本するほか、館ロビーカウンターで4月1日から1部1,000円にて販売します。
昨日に引き続き、稲荷神社の話題です。飛行場跡にほど近い、瀬世の稲荷神社です。知覧郷の瀬世村の産土として祀られてきた神社です。この神社は、知覧飛行場の設立と関係がある歴史を持っています。昭和16年の飛行場建設に伴って、飛行場を迂回する県道が整備されますが、道路拡張工事に従って移転しています。それまでは、新しくできた道路の向かい側にありました。『知覧町郷土誌』に掲載されている「三宅直矢日記」を読むと、昭和20年6月1日の欄に「町内七ヶ社合同で稲荷神社遷座祭に引続き大東亜戦争必勝の祈願祭を執行した」という記述もあります。
少しずつ花びらが増えており、確実に春は近づいています。ただし今日の天気は雨模様。気温もやや肌寒く感じます。ところで、鹿児島では何かイベントごとの時などに雨が降ると「島津雨」と言って、おめでたいことが起きる瑞兆であるとして喜ぶことがあります。島津雨とは、島津家の初代忠久が雨の降る中に稲荷大社の狐火の明かりの中で誕生したという伝説から、そういわれているようです。そのため旧薩摩藩内では稲荷神社が多く祀られていて、知覧飛行場の近くにも瀬世の稲荷神社があります。
この連休で、平和公園内の桜が一斉に花をつけ始めました。平和会館前のヤマザクラは満開ですが、他のヤマザクラの枝や公園全体にあるソメイヨシノは2~3分咲きといったところです。今日は雨でやや冷たい空気ですが、天候が回復すれば一気に勢いを増してくる気配を感じます。(写真は文化会館横のヤマザクラ)
77年前の3月18日、知覧飛行場は初めて空襲を受けました。これは、沖縄戦に向けた事前の空襲で18~19日にかけ、九州・四国・中国地方に米艦載機が飛来し軍事施設を攻撃しました。その後、米軍は3月26日に慶良間列島に、4月1日に沖縄本島に上陸し沖縄戦が始まります。今週末の26日より、沖縄戦最初の陸軍特攻隊長として出撃した伊舍堂中佐の企画展が始まります。隊員と家族の絆、隊員の心情を感じていただけたらと思います。
今日は風が冷たいですが、陽射しがでて少しずつ暖かくなってきています。
3月中旬でまだ多くの桜が蕾姿ですが、平和会館右側、零戦展示室のそばにある桜が咲き始めており、一足先に春の訪れを知らせてくれています。
今回の連休で当館にお越しの方は、外の桜の木々もぜひご覧ください。
今朝は、ここ知覧は雲一つない快晴です。気温も上がり春の陽気で、隣の平和公園芝生広場にも多くの家族連れが毎日訪れています。奥に見える桜並木は開花期間には夜間ライトアップも予定されています。桜開花状況にも、気を付けなければいけない時期となりました。
77年前の今日3月18日は、米軍機による空襲が初めて行われた日です。この日を境に、知覧でもたびたび米軍機が飛来するようになりました。空襲により、爆弾や機銃掃射によって犠牲になった民間人もいました。日本に住む私たちにとっては過去の話ですが、今この時間にも戦火に怯えているウクライナの人々の日常が早く取り戻せるよう願うばかりです。
昨夜、東日本では震度6の地震が発生したとの報道がなされています。地震にあった地域の方々の無事をお祈りいたしております。
さて、この写真は一昨日、知覧の中南部にある垂水地域から撮影した写真です。東シナ海の水平線上に、硫黄島(右側)、竹島(左側手前)、屋久島(左側奥)がくっきりと見えていました。硫黄島や竹島は、晴れた日に見えることは多いのですが、屋久島がこのように見える日は年に数回しかありません。薩摩半島とこれらの島々との海峡は、昭和20年4月7日に日本海軍の第2艦隊が航行し、坊ノ岬沖海戦で米軍機の攻撃を受けて戦艦大和が沈没した海域です。
平和公園内の桜(ソメイヨシノ)の枝先には、つぼみが芽生えています。春は、日に日に少しずつ、確実に近づいてきています。つぼみを見つめながら、「寒い冬を乗り越えた先には、必ず春がくる」、「どんなに暗い夜でも、明けない夜はない」といった、人生の境遇に重ね合わせる格言を思い起こしました。今、ロシアの軍事侵攻により蹂躙されているウクライナでは多くの命が犠牲になっています。一刻も早く事態が収拾されることを、願うばかりです。
昭和20年に米軍機が撮影していた、知覧飛行場の写真の一部です。現在の平和会館周辺にも多数の飛行機が駐機していたことがわかります。この写真の全貌は、平和会館遺品室で見ることができます。また、このような航空写真をもとに、飛行場施設の配置状況を考察したレポートを『知覧特攻平和会館紀要』第3号に掲載していますので御参照ください。⇒「米軍偵察写真から読み取る知覧飛行場施設の配置状況」
昨日の南日本新聞の読者投稿欄に、平和会館を訪れた中学生の作文が掲載されていました。語り部から話を聞いて感じたことや、現在のロシアとウクライナの情勢を踏まえてウクライナの人々への思いなど、中学生の目線で書かれている内容でした。当館を見学し、またその内容を作文にまとめていただき、ありがとうございました。当館は、戦争をテーマとした博物館として、資料を適切に保存し後世に伝えていく務めをこれからも果たしていきたいと思います。
鹿児島県の春の風物詩イベントとなった「県ちびっこソフトボール大会」が、本日から開催されております。平和公園グランドも会場となっており、朝から元気な掛け声が響いています。小学6年生にとっては最後の大会で、これまでの集大成として悔いの残らないよう、精一杯頑張って欲しいと思います。平和会館来館時に時間にゆとりのあるお客様は、会場がすぐ隣ですので、見てみてはいかがでしょうか。
平和公園の桜です。最近、桜の開花状況に関してのお問い合わせを多くいただいております。
現在は、つぼみがだいぶ膨らんで来ていますが、開花までにはもう少しかかりそうです。鹿児島県の開花予想は 3/26。満開の桜が今から楽しみです。
今日3月11日は、11年前に東日本大震災が起きた日です。災害で亡くなった方々の冥福を祈り、被災した方々へ思いを馳せたいと思います。本日14:46分に当館でも黙とうを行いますので、来館者の皆さまへ御協力をお願いいたします。
平和会館裏の芝生広場では、気の早い桜木が他に先駆けて薄紅色の振袖を身にまとっています。ただし、全体的にはまだ蕾もつけていないようですので御安心ください。ところで、桜を見た時に触れる心のありようは歴史的にどのようなものだったのかをふと考えました。77年前の日本では、特攻隊員の辞世の句に「桜」「散る」という言葉が多く用いられました。この数日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻のニュースが報道されており、幼い命が犠牲になっているとの情報もあります。桜の花に、ただ純粋に美しいと感じることのできる日が訪れることを願っています。
昨日3月8日付けで、南九州市はロシア連邦日本大使館あてにウクライナ侵攻に対する抗議文書を送付しました。本市は、「平和を語り継ぐ都市」宣言を行っている自治体として、国際社会の平和と秩序、安全を脅かし、多くの市民が犠牲となっているロシアの軍事行為を決して許すことはできません。ロシア軍の早期撤退と、平和的な解決を強く求めています。抗議文書は、市ホームページでも公開しています。
(写真は、知覧特攻平和会館前に建つ「慟哭、誓いの碑」)
知覧飛行場の油脂庫跡の壁面は、空襲の際に機銃掃射によってできた弾痕が残っています。当時の様子をうかがい知れる遺構ですが、今、世界ではそういったことが現実のものとして起こっている地域があります。現地に暮らす人々に、平穏な日々が一日でも早く訪れることを祈っています。
先の大戦から戦後50年を記念して刊行された、戦争体験の証言集です。地元の知覧町立図書館が、特攻基地であった知覧飛行場や聖ケ浦震洋艇基地の元軍人や軍属、地域住民などから集めたものです。記憶を記録化する取り組みは、このころ全国各地で行われていたようです。証言の中には、民間人の戦争被害も触れられています。証言集は、このようなことを二度と経験しないためにと、後世に語り継ごうとした先人たちの平和への思いが込められています。
昨日5日は二十四節気のひとつ「啓蟄」でした。空もよく晴れ、だんだんと陽射しが暖かくなってきたように感じます。
3月になり、桜の咲く時期に関するお問い合わせも増えてきました。知覧での開花時期は例年だと3月下旬ごろです。当館では26日から春の企画展も始まります。職員一同皆様のご来館を心よりお待ち申し上げております。
写真は知覧飛行場に立てられていた境界標柱です。正面に「116 陸軍所轄地」と記載されています。飛行場と民有地との境に立てられていました。戦後77年が経過し、飛行場の面影は少なくなりましたが、今でも現地に残るものもあります。
一昨日の記事で紹介した、菜の花の歴史的背景の続きです。知覧や頴娃地域の大部分は、火山灰土壌のシラス台地にあります。そのため、水稲耕作に不向きな畑作地帯であったことから、江戸時代に換金作物として菜種が栽培されようになり、薩摩藩の専売となっていました。菜種の肥料として使用されていたのは、牛馬や鯨の骨です。当時、薩摩藩だけが骨粉肥料を使用していました。薩摩の海運商たちは、獣骨が肥料になることにいち早く気づき、全国各地から骨を運び、シラス台地を菜種の生産地帯へと変えました。
今日は桃の節句、雛祭りの日にちなみ、受付カウンターにこのような雛人形を飾っています。これは、特攻隊員への慰霊にと来館者の方からいただいたものです。人形を割り竹の中に収めたもので、竹取物語のかぐや姫をかたどっています。多くの日本人が亡くなった先の大戦から77年。子どもたちの健やかな成長を祈る風習を、平穏な日常の中に暮れていることに感謝しつつ、今まさにこの時間にも戦火に怯えて身を潜めている子どもたちが、一日も早くそのような日々を取り戻せることを切に願っています。
3月に入り、ゆっくりと春が近づいているのを感じます。写真は、給水塔の前に咲く菜の花です。実は、知覧や頴娃は江戸時代から昭和30年代ごろまでは、菜種の大生産地でした。その名残で、種子が土壌に残っていることから季節になると黄色い花を咲かせてくれているのです。
昨夜、企画展示室の模様替えを行いました。昨日まで開催していた企画展を撤収し、常設の展示物へと様変わりしています。企画展示室は、今月下旬までの約1ヵ月間、常設の展示となっております。