フロアガイド

ロビー

 ロビーには、知覧飛行場の歴史を紹介する映像(CG)や、陶板壁画「知覧鎮魂の賦」、映画「月光の夏」で知られるフッペルのピアノ等が展示してあり、その他、売店や休憩スペースも設けてあります。

知覧鎮魂の賦

 紅蓮の炎をあげて燃える隼の機体から特攻隊員の魂魄を6人の飛天(天女)が救い出し昇天させる姿を表したもの。
(高さ3メートル幅4.4メートルの信楽焼陶板壁画)宮崎市/仲矢勝好氏画

平和の世界へ

 満開の桜並木の奥に知覧特攻平和会館や開聞岳、太陽が配置さらその上に特攻機が飛ぶ様子が描かれた影絵(レプリカ)。
作者が知覧を訪れ構想を練り、特攻戦死した友人を思い制作し2016年7月に完成した作品。
(高さ1.8メートル、横2.2メートルで裏側からLED照射)

遺品室

 ここには、陸軍沖縄特攻作戦で亡くなられた1,036名の隊員の遺影が、出撃戦死した月日の順に掲示されています。また、立体ケースには家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などが展示してあります。その他にも、陸軍一式戦闘機「隼」や、鳥浜トメさんをはじめとする生き残った人たちの証言映像「残された者から」、当時の知覧飛行場を再現した模型「知覧の空」、当時の様子が記録された映像「出撃から突撃」などがあります。

陸軍一式戦闘機「隼」(キ43-Ⅲ甲)

 陸軍の主力戦闘機であった「隼」は約5750機生産され、海軍の零戦に次いで2番目の多さでした。展示してある機体は平成19年5月に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影のために実寸大で精巧に制作されたものです。
 「隼」は特攻機として166機が使われ,その内120機が知覧基地から出撃しました。

※平成27年8月まで展示のありました陸軍三式戦闘機「飛燕」は,所有者である日本航空協会に返却されました。

疾風展示室

 ここには、陸軍四式戦闘機「疾風」が展示されています。その他、飛行服・整備兵作業服等も展示してあります。

陸軍四式戦闘機「疾風」(キー84甲)

 知覧基地には飛行第103戦隊の疾風30機が駐留し、特攻機の直掩・誘導や邀撃にあたりました。(一部徳之島基地駐留)

 沖縄戦では特攻機にも使用され、宮崎県都城東・西両基地を中心に出撃し、118機が未帰還となっています。うち知覧基地から4機出撃し2機未帰還となっています。

 この"疾風"は、昭和20年1月フィリピンに進攻した米軍が完全修復し、機能テストの上、その後米国の私設航空博物館に払い下げられ、昭和48年里帰り飛行を行った後、日本の一業者に買い取られ栃木県宇都宮、京都嵐山美術館、和歌山県白浜御苑を経て、知覧町(当時)が取得し、知覧特攻平和会館へ展示されることになったものです。

戦史資料展示室

 ここには、西南戦争から第二次世界大戦まで、市井の人々がどのように戦争に関わってきたのかを証言映像や資料で紹介しています。

企画展示室

 ここは、特別企画展を行う展示室です。特別企画展期間以外も様々な展示を行っています。

 現在、こちらの展示室では、歴史背景の説明のほか、遺書類の活字化と英語訳を行い、より分かり易い展示を行っています。

 特別企画展を実施する際には改めて、こちらのホームページでご案内いたします。

震洋艇展示室

 海軍水上特攻艇「震洋」が展示してあります。

 知覧飛行場の歴史等についても紹介しています。

零戦展示室

 ここには、海軍零式艦上戦闘機を展示しています。その他、同零戦の部品等を展示してあります。

海軍零式艦上戦闘機

 この零戦は、昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、水深約35メートルのところに海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものです。

 機体は35年間海中にあり、無残な姿ですが、往時をしのぶ姿をとどめています。機体は旧海軍の零式艦上戦闘機52丙型で、20ミリ機銃2門、13ミリ機銃3挺を装備しています。

視聴覚室

 ここは主に語り部の講話会場として利用されます。(約200人収容)

講話室

 ここは主に語り部の講話会場として利用されます。(約100人収容)

収蔵庫

 ここは、特攻隊員の遺書や手紙などを最適な環境で保存する戦史資料用の収蔵庫です。庫内は一般の戦史資料を収蔵する一般収蔵庫と、特攻隊関係の戦史資料を収蔵する特別収蔵庫に分かれています。

三角兵舎

 これは、特攻隊員たちが出撃するまでの起居していた半地下式の三角兵舎を会館横の杉林に復元したものです。三角兵舎の中で隊員たちは、日の丸に寄せ書きを書いたり、故郷へ送る遺書や手紙を書いたりしていました。